9/28(木)
社長と総務のお姉さんとお話をした。
私は、精神科のお医者さまに命じられた通りに「ひとまず淡々と日々を過ごす」ことを、社長や総務のお姉さんともお約束した。
お医者さまは昨日私にこう仰った。
「あなたは、まだ地盤すら緩い土地に、建物をこしらえようと躍起になっている」
地盤の緩い土地とは、私の心のことだ。
「心の弱さ」という根本的な問題を解決しないうちに、職場への復帰に役立ちそうに見える急ごしらえの知識を貼り付けまくったところで、私の望んでいる(「職場に復帰してずっと健康に働く」という)目的は永遠に達成できない。当たり前だ。
「地盤を固めるためには、まず、『淡々とした生活』を送ること。
『目の前のこと』をこなすこと。
焦らないこと。」
それがお医者さまのご助言だった。
ところで、総務のお姉さんは、この「淡々とした生活」という表現がお気に召したようだった。
「わあ、すてき! 送りたい、淡々とした生活」
暮しの手帖やku:nelのような、いわゆる「ていねいな暮らし」というものを想像されたのだろうか。
いずれにせよ、分かる。「淡々とした」って、なんだかすてきだ。
「帰ってきたまーやさんは、小鳥と喋れるようになってるかもなあ」
社長はそう仰って笑った。社長の想像される「淡々とした生活」は、少なくとも森の中で営まれていることが分かった。
このような、温かい社長と総務のお姉さんのご配慮によって、私はこれから(また)およそ1ヶ月ものあいだ、療養に専念させていただける運びとなった。
ほんとうに、ほんとうにありがたいことだ。
そのような経緯もあって、私は、今度こそ地盤を固めたいと思っている。
すこしくらいつらいことがあったって、すぐに最悪の決断に走ろうとせずに済むための、心の中の「確固たる大丈夫」を。
胸の内に握りしめていられる何かを、手に入れたい。
それは、考え方かもしれないし、安定した生活の周期かもしれないし、自分だけの儀式かもしれない。
とはいえ、私の心の中にももちろん、既に大事にしているものがたくさんある。
大好きな友人たちとの、思い出すと胸が苦しくなるほどの大切な思い出。
どうしても通じてほしかった心からの言葉がちゃんと通じた経験。
親や友人や恋人やメンターや職場の方々やその他様々な方々にこれまでたくさん助けていただいたこと。
近しい人々に、労力を使って、言葉を尽くして、お前は大切だと訴えていただいた記憶。
それらはほんとうはいつも、蛍のような優しさと、満月のような安心感で、私のまわりを灯してくれていた。
なのに私は今まで、守護神みたいなその光の存在を知っているのにもかかわらず、それをちゃんと抱きしめて味方にすることができなかったのだ。
「わかってるんだよ、わかってるんだけどね」と言いながら、優しい私だけの満月に、むしろ後ろ暗い思いで背を向けていた。
あまりにも認めたくないことだが、大切な記憶への忠誠心よりも、目の前の現実への恐怖が勝っていたからだ。
そんなことも、もうやめたい。
恐怖に打ち勝って、大切なものが大切であることを、身を以て証明したい。
たとえば「あのとき友人に『死ぬな』と言われたことがどれだけ嬉しかったかを証明するために」も、生きたい。
そのためにも「地盤を固める」を遂行したい。
のんびりやること、構えないことが肝要であるこの計画の始まりに、こんな、決意表明みたいな文章を書くのもおかしいけど、なんだか書きたくなったから書いてしまった。
わたしのために光る満月を、ポケットにそっと詰め込んで、軽やかに歩き出したい。
これは、いつか私が本当にそうできるまでの、おそらくはどったんばったんしながら、淡々とした日々に近づいていくための記録になっていくと思う。